権力と寝た美女!?平清盛・源義朝を股にした常盤御前の本当の性分

日本史(平安・鎌倉時代)

歴史大好き、くろーるです。

源平合戦のヒーローといえば、悲劇のイケメン・源義経(みなもとのよしつね)でしょう。

源義経のイケメン論議には賛否あるのですが、イケメンであった根拠のひとつが、母・常盤御前(ときわごぜん)なのです。

なんといっても、京美人千人の中から選ばれた「美女の中の美女」でした。

そんな常盤御前は、新しい時代の幕開けに翻弄されながら、“時の権力者と寝た女”ともいえます。

常盤御前の行動は、愛ゆえの悲壮な選択か?

それとも、ただのビッチ女か?

千人の美女から選ばれた京の都一の美女、それが常盤御前

常盤御前の正確な生没年はわかっていません。

平治の乱を描いた軍記物として知られる『平治物語』によれば、1138年(保延4年)の生まれとされています。

平安時代末期の皇后・藤原呈子(ふじわらのていし)の雑子女(ぞうしめ)の募集に応募してきたのが常盤御前でした。

雑子女(ぞうしめ)とは、いわゆる世話係。

なので、応募条件もありませんので、誰でも手を上げることができました。

常盤御前の母は、一説には踊子である白拍子(しらびょうし)だったといわれます。

美人の素質は、遺伝だったのかもしれません。

藤原呈子の雑子女の応募総数は、ナント1000人!

選ばれる確率0.1%という超難関を、素性は関係なく美貌だけで勝ち取ったというのです。

どれだけの美女であったかは、想像もつきませんね。

源氏のボス・源義朝の愛人となり3人の男子の母となる

そんな京の都一の美女を、世の男たちが見逃すわけがありません。

当時、東国の武将たちをまとめあげ、源氏の頭領となっていた源義朝(みなもとよしとも)の目に止まり、愛人となります。

のちに鎌倉幕府を開く源頼朝(みなもとよりとも)の父です。

このとき、常盤御前は16歳。

美女というより美少女のようにも思いますが、さすがは、坂東武者のボスである源義朝の夜の武者ぶりも激しかったのでしょう。

二人の間には、今若・乙若、そして牛若、のちの源義経という3人の男子が生まれます。

しかし、一介の召使から源氏トップの愛人というシンデレラストーリーも長くは続きません。

天皇家の権力争いに巻き込まれた源義朝は、京を追われた逃走途中で、家臣に裏切られ死んでしまいます。

何の後ろ盾もない常盤御前は、いきなりシングルマザーとして生きなければならなくなります。

実力者が敗者になれば、その子供たちは追われ、殺されるのが時代の習いです。

常盤御前は、三人の子を連れて逃避行へ旅立ちます。

まだ雪の残る春先のこと。

追手を警戒しながらも、足に血をにじませながら、やっと奈良まで逃げ切ったとされます。

ただ、常盤御前の逃亡劇は『平治物語』や『義経記』といった源氏方に同情的な書物の記載はあるものの、事実かどうかは不明ともいわれます。

源義朝の正妻の子である源頼朝は、平清盛によって早々に命を助けられています。

源頼朝の助命にも諸説あり、平清盛に好意的ではありません。

しかし、時の天皇という絶対的権力者と対峙した平清盛は、かなり懐の広い人物だったのではないかと推測します。

ましてや、源義朝の愛人・常盤御前の子供たちは、端から殺す気などなかったようにも思います。

逃亡の必要性もあったかどうかは疑わしいのではないでしょうか。

「平家が絶頂期だから平清盛の愛人になれば安泰なの~」

平清盛
平清盛

わしの側室となれば命は助けてやろう。

源義朝の愛人ではいられなくなった常盤御前は、一説にはこのあと平清盛の愛人となり、女の子を生んだともいわれます。

この話は、先程の話とは逆に、かの有名な戦記物『平家物語』に書かれているもので、確証がありません。

まぁ、後ろ盾を失った常盤御前の目に平清盛はかっこうのパトロンに映ったとしても不思議ではないでしょう。

ましてや、京の都一の美女。

平清盛にとっても悪い話ではありません。

物語としては、三人の子供の命を助けるために、強欲な清盛に体を投げ出す悲哀のシーンとなっています。

あくまでこれは平清盛が悪者であるという前提に立っての話です。

もちろん、平清盛も男ですから、常盤御前に興味を抱かないとはいいませんが、これは互いに“WinWinの関係だった“と思う方がスッキリします。

平清盛の愛人になることで、常盤御前は安定した暮らしを取り戻すことができたのですから。

ちなみに3人の子供たちは、それぞれ寺に預けられることになり、命を長らえます。

常盤御前、23歳のことといわれます。

「平清盛の愛人兼一条長成の妻」という疑いもアリ!?

平清盛の愛人という話は、必ずしも公式な記載のあるものではありません。

表向きには、公家の一条長成(いちじょうながなり)の妻となっています。

この時代を描いた漫画『ジパング深蒼海流』では、うだつの上がらない役人として書かれている人物で、記録の中でもこれといった活躍もないので、あながち当たっているのかもしれません。

平清盛の正妻・時子の嫉妬によって、常盤御前は愛人ではいられなくなったともあるので、ちょうど独身だった一条長成のところへ嫁がされたのかもしれません。

23歳の常盤御前といえば、女性としての色気も絶頂の頃だったはず。

千人に一人の美女が、いくら出自は低いとはいえ、引く手あまたの人気と考えて間違いありません。

そんな常盤御前が、冴えない役人の妻でおさまるとは考えにくいでしょう。

天皇をも凌ぐ権力者となった平清盛の愛人ともなれば、誰も手出しはできません。

一条長成に体のいい役回りを押し付けられた感はありますが、それでも一男一女を設けています。

無害役人だったからこそ、京の都一の美女を奥さんにできたと考えれば、役得ともいえますね。

「一条長成との子供が平清盛との間の子だった」ということもありえますが・・・

謎の常盤御前の最期

このあと、常盤御前の消息はほとんどわからなくなります。

平清盛が謎の熱病で急死したことにより、時代の流れは源氏へと移っていきます。

自分の子である源義経の活躍により平家は滅亡します。

またまた、常盤御前はパトロンを失ってしまったはずですが、この状況はどこにも書かれていません。

さらに、源頼朝との確執により、源義経も奥州で死んでしまいます。

鎌倉幕府の正史とされる『吾妻鏡』では、源義経の逃亡を探索していた鎌倉方の武士に常盤御前は捕らえられたと書かれています。

しかし、このあとどうなったのかはわかりません。

源義経を頼って奥州へ逃げようとしたところ、途中の関ケ原周辺で殺されたとの伝承も残されます。

確かに、残されたパトロンとしては、鎌倉にいる源頼朝か奥州の藤原秀衡(ふじわらひでひら)になるでしょう。

なんといっても当時の奥州は、「黄金の国」といわれた金の産地で、京都以上の経済力を持っていました。

常盤御前のパトロンとしてはいうことなしです。

年齢的にも、常盤御前の色気が通じるのは藤原秀衡の方が可能性がありそうですし。

権力と寝た美女!?平清盛・源義朝を股にした常盤御前の本当の性分 まとめ

ここまで常盤御前をビッチ扱いして書いてきましたが、観音菩薩への深い信仰心があったことも書き添えておきます。

源義朝を失ったあとの奈良への逃亡も、始めに清水寺へ行き、匿ってもらったといいます。

逃亡先が奈良というのもつながります。

また、平家滅亡後に捕らえられた場所も「一条河原崎観音堂辺り」とされ、これは鎌倉幕府正史の『吾妻鏡』の記録のため事実と考えられます。

時の権力者に寄り添うことで自分の居所を確かなものにしてきた常盤御前でしたが、最後は観音菩薩に亡き男たちを弔う日々を送ったのかもしれませんね。

常盤御前の色気ある姿を追体験する!『ジパング深蒼海流』

文章内でも紹介しましたが、平家の絶頂から源平合戦、源義経の死まで描かれた漫画『ジパング深蒼海

流』の序盤には常盤御前が登場します。

その京の都一の色気で、源義朝を、平清盛を篭絡する様が見られます。

どちらかというとビッチ系の常盤御前になってますので、平安のエロスを感じてみてください。

(参考資料)

古典文学に見る女性の生き方事典/編者:西沢正史/国書刊行会

男と女の恋する日本史講談/著者:神田蘭/辰巳出版

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