日本史の故事に由来する歴史ことわざ【その1】平安時代編

国語の自由研究

国語の必須項目ともいえることわざ・慣用句・故事成語

故事成語は、そのほとんどが中国の故事などに由来するものです。

しかし、調べて見ると日本発祥のものも意外にあります。

そんな日本由来の故事成語の中から、日本史の偉人にゆかりのあるものを集めてみました。

意味・由来・関係する偉人解説という構成になっており、日本史の時代順と出来事順に並べてみました。

社会の歴史と国語が同時に学べる、一挙両得な内容になっています!

今回は、その第一弾です。

弘法(こうぼう)にも筆の誤り/弘法大師

  • 「弘法にも筆の誤り」の意味

どんなプロでも間違いをするものであるという戒め。

  • 「弘法にも筆の誤り」の由来

「弘法大師(こうぼうだいし)」こと空海は、当時の三筆に数えられるほどの書の達人でした。

あるとき、嵯峨(さが)天皇からの依頼を受けて、平安京の應天門(おうてんもん)の額を書くことになりました。

ところが、空海ほどの筆の達人が、「應」の一番上の点を書き忘れてしまったことが由来です。

書き忘れた空海は、掲げられた額を降ろさずに、筆を投げて点を書き入れ「應天門」を完成させます。

そのため、「さすが大師は書き直しも常人とは違う」という褒め言葉の意味もあるといわれています。

  • 「弘法にも筆の誤り」の弘法大師とはどんな人物?

平安時代初期の僧で空海(くうかい)と名乗り、真言宗を開祖として知られます。

遣唐使として唐(現在の中国)に渡り、真言密教を日本に持ち帰りました。

日本では高野山(現在の和歌山県にある)にて真言宗の寺院をもち、修行に励みました。

空海の死後、当時の天皇が送った名前が「弘法大師」でした。

なお、空海の遺体を確認をしたわけではないため、現在でもなお生きて修行をしているという言い伝えもあります。

全国各地で温泉を発見したことでも知られています。

弁慶(べんけい)の泣きどころ/武蔵坊弁慶

  • 「弁慶の泣きどころ」の意味

強い者の唯一の弱点の意味。

  • 「弁慶の泣きどころ」の由来

一般的に「すね」と呼ばれる膝からくるぶしの足の部分を指し、向う脛(ずね)ともいいます。

この部分には筋肉が無く、皮膚の下は骨のため、痛みが直に伝わるのです。

弁慶は大変強いことで知られていますが、そんな弁慶でも向う脛を叩かれると痛がるということから由来します。

  • 「弁慶の泣きどころ」の弁慶とはどんな人物?

弁慶とは、平安時代末期の比叡山の僧で、武蔵坊(むさしぼう)弁慶と名乗ったとされます。

源平合戦で活躍した源義経(みなもとのよしつね)の家来として有名で、京都の五条大橋での源義経と弁慶の出会いなどが知られています。

僧のいで立ちで片手に薙刀(なぎなた)をもち、怪力の持ち主として描写されることが多いでしょう。

源義経が美少年とされることに比べて、不精な顔つきに描かれますが、実際にはハンサムであったとの話もあります。

兄・頼朝に奥州平泉に追い詰められた源義経を、立ちはだかって守った最後は時代劇やドラマの名シーンになっています。

このときのことを「弁慶の立ち往生」といい、身を挺して守ることのことわざにもなっています。

その他、「内弁慶」という、外では大人しいが、中では威張り散らす様子をいうことわざもあります。

判官贔屓(ほうがんびいき)/源義経

  • 「判官贔屓」の意味

弱い者や不利な者に同情し、応援したり肩をもつこと。

正義がどちらにあるかという点は考慮せずに、感情的に同情を寄せることが特徴的です。

  • 「判官贔屓」の由来

源平合戦で活躍し、平家滅亡に大きな役割を果たした源義経。

ところが、源義経の単独の活躍を良く思わない兄・源頼朝や、頼朝の家来・梶原景時(かじわらかげとき)の言われない中傷によって、鎌倉を追われてしまいます。

追われる身となった源義経は家来である弁慶とともに、奥州藤原氏を目指し苦難の逃避行をしたのです。

やっとの思いでたどり着いた奥州でしたが、当主・藤原泰衡(ふじわらやすひら)に裏切られ、非業の死を遂げます。

平家滅亡に貢献しながらも、悲しい死を迎えた源義経の姿が由来になっています。

  • 「判官贔屓」の源義経とはどんな人物?

平安末期におきた平治の乱に敗れた源義朝(みなもとよしとも)の子として生まれ、異母兄に鎌倉幕府を開いた源頼朝がいます。

「源九郎判官(くろうほうがん)義経」と名乗り、″ほうがん″のいわれになっています。

3歳で京都の鞍馬寺に預けられ、天狗に剣術を習ったとの言い伝えがあります。

兄・源頼朝が平家打倒の挙兵をすると駆け付け、その軍事的天才ぶりを発揮しました。

鵯越えの逆落とし壇ノ浦の戦いでの八艘飛びなど、数々の伝説を残しています。

奥州平泉で最期を迎えたとされますが、その後脱出し北海道へ渡り、さらに大陸に渡ってチンギスハンとなったという伝説もあります。

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