狙われた徳川幕府!!日本植民地化計画に影響させた3人の男たち

伊達政宗のイラスト 江戸時代のわやなストーリー

日本ハ海軍力ガ弱ク、兵器ガ不足シテイマス。ワガ軍ハ大挙シテコノ国ヲ襲ウコトガデキマス。

1599年(慶長4年)、イエズス会の宣教師ペドロ・デ・ラ・クルスがイエズス会総長に送った手紙にはこう書かれています。

歴史大好き、くろーるです。

豊臣秀吉が亡くなり、日本に権力の空白ができたとき、キリスト教宣教師たちの中に日本占領を考えていた人たちがいます。

その計画を知り驚いた徳川幕府が、キリスト教の禁止と鎖国を始めた理由です。

キリスト教の布教を通じて、じわじわと浸透させていった日本の植民地化計画

幕末まで日本への外国船の来航は限られ、植民地化を逃れたのは結果論でしかありません。

実は、かなり徳川幕府中枢までキリシタン支配は広がっていたと考えられます。

それは、物心両面を使っての巧みな侵略計画でもあったのです。

今回は、日本植民地化計画に利用された徳川幕府に近い3人の人物に焦点をあててみます!!

徳川幕府初期の経済を支えた錬金術師・大久保長安

まず、一人目は徳川幕府初期の経済を支えた大久保長安(おおくぼながやす)です。

武田信玄に仕え、武田家滅亡後は徳川家康の家臣となった人物。

徳川家康の元では、佐渡金山奉行・伊豆金山奉行、そして全国金山奉行を勤めています。

当時の日本は世界有数の金の産出国で、戦国時代には金山を巡っての戦いもあったほど。

その金山開発を徳川政権下で取り仕切っていたのが、大久保長安だったのです。

大久保長安が、なぜ金山の開発を任されていたのかについては、そのルーツにあります。

大久保家のルーツは猿楽師(さるがくし)といわれる、現在の能にあたる芸能集団ですが、修験者などと同じく山の民に属します。

そのため猿楽師は、金銀や鉄などの鉱物資源の開発や精錬技術を学んでいました。

大久保長安もまた、その鉱山開発の技術を生かすことで武田信玄下の黒川金山開発で指揮をとっていました。

武田家が滅びたときには、徳川家康が真っ先に探し出して家臣に加えたとされます。

大久保長安とキリスト教をつなげるのも、この金山開発にありました。

それまでもっていた技術だけではなく、西洋の最新の採鉱治金学を南蛮人を通して学び、大きな成果を得たのです。

そして、この鉱山開発技術を学ぶ過程でキリスト教の教えも学び、その深い真理に理解をもったといわれます。

当時の鉱山開発者には、大久保長安と同じようにキリシタンになったものも多かったとされています。

大久保長安は金銀採掘に優れているわけですから、豊富な資金を準備することは簡単です。

日本のキリシタンを援助することもできる力をもっているといえます。

しかし、大久保長安が日本植民地化政策のキーマンとなる理由には、もうひとつ大きなものがありました。

父・徳川家康に嫌われた息子・松平忠輝

徳川家康の六男・松平忠輝(まつだいらただてる)が、二人目の男です。

1592年(天正20年)、徳川家康と側室・茶阿局(ちゃあのつぼね)との間に生まれた松平忠輝。

生まれ年が辰年だったため幼名を辰千代といわれました。

この六男を、父・徳川家康は嫌っていました。

目がつり上がって色が黒く、あまりの人相の悪さに、父親から捨てるよういわれたと伝わります。

徳川家康
徳川家康

辰千代は捨てよ。

成年になってからも背が低いことから容姿も悪いとされ、気性も激しいことも嫌われる原因だったようです。

家臣の意見には耳を貸さず、その横暴さは家臣から訴えられるほどだったといいます。

松平忠輝の性格の悪さは、豊臣家との一大決戦となった大坂の陣の話が有名です。

まずは、1614年(慶長19年)の大阪冬の陣では、江戸城の留守番を命じられます。

戦場に出られない不満から、領地の川中島藩(現在の長野県)からなかなか江戸城へ行こうとせず、嫌々やってくるという態度の悪さです。

その翌年の大阪夏の陣では、大和口攻略の総督に選ばれます。

これは、徳川家康が松平忠輝の態度に配慮したともいわれますが、ここでも素直に行動しません。

大阪夏の陣の激戦地となった「道明寺口の合戦」では、戦闘が終わったあとに到着しています。

翌日の戦闘でも、豊臣方の敵の首をひとつも取ることなく、やる気のなさを隠すこともしません。

これには、さすがの徳川家康も大激怒。

徳川家康
徳川家康

もう二度と会わん!!

すべての領地を没収し、伊勢国(現在の三重県)朝熊への追放刑としました。

その後、松平忠輝は58年もの監禁生活をさせられますが、そこは徳川家の血統でしょうか。

92歳の大往生でこの世を去ります。

あくまで想像ですが、松平忠輝の態度は、父・家康に嫌われたことへの復讐だったと考えられます。

父親の命令に従うフリをしながら、何かと理由をつけては反抗する。

まさに、面従腹背の姿勢です。

さて、この松平忠輝の補佐をしていたのが、一人目の男・大久保長安だったのです。

松平忠輝はキリシタンであった証拠はありませんが、キリシタンびいきだったといわれます。

これも大久保長安の影響だったのではないでしょうか。

ここでもうひとつ。

松平忠輝と妻・五郎八(いろは)姫の仲をとりもったのが、大久保長安だったといわれます。

五郎八姫の母親はキリシタンであったことがわかっています。

キリスト教を信仰していたからこそ、大久保長安の仲介があったとされます。

そして、この五郎八姫こそ、東北の大大名・伊達政宗(だてまさむね)の娘なのです。

またまた、キリスト教の匂いがただよってきました。

伊達政宗の野望・天下統一にキリシタンを利用!?

伊達政宗といえば、隻眼で三日月の前立ての兜が象徴的な人気の戦国武将です。

伊達政宗
伊達政宗

遅れてきた天下人

東北の大大名として、その実力は豊臣秀吉も徳川家康も一目置いていたのは誰もが知るところです。

伊達政宗といえば、1613年(慶長18年)支倉常長を代表としてスペインに使者を送った慶長遣欧使節団が知られています。

慶長遣欧使節団の目的は、キリスト教の信仰のための宣教師派遣の要請と西洋との貿易とされています。

しかし、隠された目的は、スペイン艦隊の派遣でもあったのです。

「無敵艦隊」といわれたスペイン艦隊の支援を求め、その軍事力を利用して徳川幕府を奪う計画をしていたというのです。

徳川幕府という形態は残しつつ、その実質的権力をわがものにする。

そのために必要だったのが、徳川家康の血筋である松平忠輝だったのです。

伊達政宗が最後まで、自分の天下を諦めていなかった証拠です。

そのためには、大事な一人娘を悪評高い男に嫁がせることもいとわなかったのでしょう。

キリシタンによる日本植民地化計画に乗せられた第三の男。

それは、伊達政宗だったのです。

狙われた幕末日本!植民地化計画に乗らされた3人の男たち まとめ

松平忠輝を将軍とし、その後見人として伊達政宗が権力をふるう第二の徳川幕府。

その第二の徳川幕府を表裏一体で支えるスペインとイエズス会。

松平忠輝も伊達政宗も従わざるをえない状況になっていたでしょう。

こうしてイエズス会による日本植民地化計画が実行されていたかもしれません。

この恐ろしい未来を想定した徳川家康は、二代目秀忠・三代目家光と引き継いで、キリスト教の禁止と鎖国を完成させたのです。

キリシタンの弾圧を正当化するものではありません。

国防の名の下で殺害されてよい命などないからです。

ただ、別の側面から見ると、そこにはキリシタンによる日本支配という未来もあったかもしれないのです。

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