キリスト教の布教理由は日本侵略!イエズス会とザビエルの真の目的

日本史(戦国時代)

歴史大好き!くろーるです。

1549年(天文18年)日本へはじめてキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師・フランシスコ=ザビエル。

キリスト教の博愛精神は、日本の大名や庶民にも共感を呼び、九州地方を中心に多くのキリシタン大名も誕生しました。

一度は日本にも広がるかに見えたキリスト教でしたが、豊臣秀吉(とよとみひでよし)による伴天連(ばてれん)追放令を機に表立ってのキリスト教の布教は禁止されます。

徳川幕府下でもキリスト教は迫害され続け、キリシタンたちは不遇な時代を過ごします。

しかし、フランシスコ=ザビエルが日本へやってきた真の目的は、日本侵略だったというのです。

キリスト教布教は、ただのフェイクだったのでしょうか?

植民地偵察も兼ねていたイエズス会の布教活動

1543年にパリ大学の同志で結成されたイエズス会

その中心的なメンバーにイグナチオ・デ・ロヨラという人物がいます。

このイグナチオ・デ・ロヨラは、軍隊の出身でもあるためか過激な伝道師であったといわれます。

キリスト教の布教のためであれば、軍事力を使用することもありえると話すほどでした。

イエズス会では、カリスマ的存在であったイグナチオ・デ・ロヨラ。

そのイエズス会のメンバーには、のちに日本へキリスト教を伝えるフランシシコ=ザビエルもいたのです。

イエズス会の目的は、世界にキリスト教を伝えること。

スペインやポルトガルの国王から支援を受け、イエズス会は世界布教へと乗り出します。

ザビエル
ザビエル

ワタシたちは、

世界にキリスト教を

広めマス!

フランシシコ=ザビエルたちが、まず目指したところはインドでした。

そして、インドから東南アジアを巡り中国・上海へとやってきます。

フランシシコ=ザビエル一行が巡った国々は、その後に植民地となったところばかりです。

巡った国の文化・風土・権力構造などを詳細に記録しています。

キリスト教の布教という手段をとおして、庶民や権力者と接することで植民地として支配しやすいかどうかを調査していたと考えられるのです。

植民地として狙われた日本!その目的は世界有数の産出量だった銀!

かつて、日本は鉱物資源の宝庫でした。

マルコポーロの『東方見聞録』には、“黄金の国ジパング”として日本が紹介されていることは知られています。

戦国時代の大名たちの大きな資金源にもなっており、金山や銀山を巡っての争いも絶えませんでした。

島根県の石見(いわみ)銀山や兵庫県の生野(いくの)銀山は、その大規模は採掘場として有名です。

当時、世界の銀産出量の3分の1は日本だったといわれているのです。

ザビエル
ザビエル

ニホンには、

シルバーいっぱいありマスネ。

日本を植民地とできるなら、大きな資金源とできるのです。

イエズス会にとっても重大なことですし、支援しているスペインやポルトガルにとってもおいしい話です。

フランシスコ=ザビエルたちの日本での布教活動は、その後のイエズス会の運営にも関わることだと考えたかもしれませんね。

他国侵略に利用しようとした世界屈指の戦闘力“サムライ”

古くから神様信仰と仏教信仰の根付いていた日本での、キリスト教の布教活動は難航したようです。

イエス・キリストの訳し方にも問題があり、新しい仏教の一派と見られたことで他の仏教宗派とも対立もありました。

しかし、西洋から運ばれた珍品を目にした大名たちにより関心が高まり、キリスト教布教は進み始めます。

九州の大名たちには、キリスト教への改宗も多くありました。

大友宗麟(おおともそうりん)や黒田如水(くろだじょすい)といった戦国時代を代表する大名にもキリシタンはいたのです。

特に、織田信長(おだのぶなが)は西洋の珍品に興味をもっただけでなく、ヨーロッパの軍事力にも関心をもっていたといわれます。

ヨーロッパの軍事力をバックに、天下統一を考えていたともいわれます。

一方で、フランシシコ=ザビエルたちも、日本の民度や国力の高さに驚いた様子です。

そのため、

ザビエル
ザビエル

サムライの組織力・軍事力を

他国侵略に利用すべきデス!

という内容の文章を送っています。

また、その中で

ザビエル
ザビエル

ニホンのこと、

ゼッタイに侵略してはイケマセン!

とも語っているのです。

ということは、最初は侵略しようと思っていたわけですよね。

フランシスコ=ザビエルの日本の滞在は、約2年ほどになります。

その2年の間にフランシスコ=ザビエルたちが見た日本は、想像を上回る国であったのでしょうね。

イエズス会と深い関係をもった武将たちを詳しく→『狙われた徳川幕府!!日本植民地化計画に影響させた3人の男たち』

島原・天草の乱は日本侵略構想のひとつだった!?

天草を見つめるキリシタン像

順調に進むかに見えたキリスト教の布教活動でいたが、その影響力の大きさを恐れた豊臣秀吉の伴天連追放令により、日本宣教師たちは国外に追い出されます。

フランシスコ=ザビエルも日本をあとにします。

その後も、キリシタン大名により保護された宣教師たちにより、細々と布教活動は続いていたものの、徳川幕府下でもキリスト教は禁止され、その活動を縮小させていきます。

しかし、イエズス会の日本侵略計画を諦めたわけではありませんでした。

そのひとつの成果となったのが島原・天草の乱だったのです。

キリシタンによる反乱ととらえられている島原・天草の乱ですが、組織化された抵抗活動からキリシタン大名の家臣の関与があったと考えられています。

さらに、乱の鎮圧にあたった徳川幕府軍の松平信綱は、わざわざ長崎から呼び寄せたオランダ船で砲撃させるということをしています。

これは、外国船が味方することはないというアピールではないかといわれます。

島原・天草の乱が、外国勢力の扇動により行われたということを徳川幕府側が知っていたと思われるのです。

その島原・天草の乱を扇動した外国勢力こそ、イエズス会だったといわれています。

日本侵略計画は、まだ続いていたのです。

まとめ:キリスト教の布教理由は日本侵略!イエズス会とザビエルの真の目的

島原・天草の乱によって、キリシタン勢力の危険性を再認識した徳川幕府は、ますます鎖国政策を徹底します。

外国との交易も制限されたため、キリスト教の布教は進むことはありませんでした。

おかげで、日本はどこからも植民地化されることなく、明治時代を迎えることになったのです。

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