動物好きに悪い人なし!
歴史ゴシップ好きのくろーるです。
九州の大大名・島津家は、勇猛果敢な家柄で知られます。
豊臣秀吉時代の朝鮮出兵では、朝鮮語で石のまんじゅうを意味する“シーマンズー”と“しまづ”の読みをかけて、その頑強さが朝鮮軍にも知れ渡りました。
関ヶ原の戦いで西軍についた島津家は、徳川家康の奇襲・暗殺を提案したり、敗北後は、島津家のほとんどの将兵を犠牲にしながらも敵中突破をして、徳川家康の度肝を抜きました。
政治的駆け引きにも秀でていることもあり、豊臣秀吉の九州征伐・関ヶ原の敗戦も乗り越え、明治になるまで領土をそのまま残すことに成功しています。
その九州の雄・島津家初代当主・島津義弘(しまづよしひろ)は、勇猛な薩摩隼人であるだけでなく、動物を愛した優しい人物でもあるようです。
島津義弘の小ネタを披露します!
島津義弘の命を救った愛馬『膝つきくりげ』のエピソード
鹿児島県中心部・姶良市にある亀仙院墓地に『膝つきくりげ』といわれた馬の墓があります。
その墓の碑文には、『膝つきくりげ』と呼ばれた島津義弘の愛馬が、命を救ったエピソードが書かれています。
九州南部の三州を統一し、島津家の基礎を築いた島津義弘。
その前哨戦ともいえる木崎原(きざきばる)の戦いでのことです。
隣国・日向(現在の宮崎県)の当主・伊東氏との争い途中、島津義弘が伊藤家武将と一対一の勝負となりました。
槍の穂先が島津義弘を貫こうとしたとき、乗っていた愛馬「白竜」が自分の膝を折って前傾姿勢をとり、槍を交わしたのです。
態勢を整えなおした島津義弘は、形勢を逆転させそのまま敵の武将を斬り倒すことができました。
愛馬「白竜」の体の色が栗毛だったことから、『膝つきくりげ』という愛称で呼ばれました。
白竜は大変長生きで、人間でいうところの83歳まで生きたそうです。
島津義弘は、白龍が亡くなると墓を建てて供養し、それが今も残る『膝つきくりげ』の墓なのです。
主人・島津義弘を想って死んだ愛馬がいた!!
愛馬にまつわる話をもうひとつ。
古今名家珍談奇談逸話集に掲載されている島津義弘の愛馬の話があります。
1600年の関ヶ原の戦いのあとのことといいますので、徳川家康が怖れた敵中突破のあとのことです。
関ヶ原の戦いで乗っていた愛馬を、島津義弘が神社に奉納することとなりました。
おそらく、多くの家臣たちを犠牲にしながらも生きて戦場を脱したことへの神のご加護への感謝だったかもしれません。
神馬として神社へ愛馬を捧げたあと、薩摩へと戻るために船で沖へ出た島津義弘を追って、愛馬が海を泳ぎだしました。
しかし、300mほども泳いだところで追いつけないと悟った愛馬は、浜へと引き返して来たのです。
浜辺に上がったその馬は、沖へ向かって何度か悲しげにいな鳴いたといいます。
そのまま神社に向かって駆けだすと、神社の柱に自分の頭を打ちつけて死んでしまいました。
二度と会うことのない主人を想う愛馬の悲しいエピソードです。
島津義弘も、その馬に愛情をかけたからこそ、愛馬も主人から離れられなかったのでしょうね。
7匹の猫を連れ朝鮮出兵では時刻を計っていた!
豊臣秀吉の晩年に行われた朝鮮出兵は、国内大名には多大の出費をさせるも恩賞はなく、朝鮮の人たちとっては国土を荒らされて、どちらにも成果のない結果となりました。
島津義弘もそんな無駄な朝鮮出兵の先方隊として、海を渡りました。
戦場での時間を知るために、猫を連れて行くことを奨励したのは豊臣秀吉だったようです。
島津軍は猫を7匹連れて行き、各島津軍陣地に置いていたそうです。
猫は光の明るさによって目の大きさが変わることは知られています。
明るい昼間は瞳が小さくなり、暗くなると瞳が大きくなるのです。
その習性を生かして、猫の瞳の開き具合を合わせることで、戦闘の開始時刻を合わせていたのではないかといわれています。
ただ、猫の目は明るさによって変わるわけですから、昼間でも曇りかげんによっては目が開くこともあったでしょう。
どれほど正確な時間として利用されていたかは、記録がないのでわかりません。
3年に渡った朝鮮出兵の中で、残念ながら5匹の猫は日本へ戻ることはできませんでした。
日本へ戻ることのできなかった5匹の猫の供養と無事に戻って来れた2匹の猫を奉って『猫神神社』を島津義弘は建てています。
現在は、島津家別邸であった仙厳園にあり、全国の愛猫家が一度は訪れたいという人気スポットになっています。
鹿児島では茶トラの猫をヤス猫と呼ぶせつないエピソード
無事に日本へ戻れた2匹の猫は、ヤスとミケと呼ばれていました。
その一匹でヤスと呼ばれた猫は、島津義弘の次男・久保(ひさやす)が特に可愛がったといいます。
島津久保も朝鮮出兵に参加していましたが、戦闘中に亡くなってしまったのです。
ヤスは茶トラ猫だったため、ヤスと同じ毛色の猫を今でも鹿児島では”ヤス猫”と呼ぶのだそうです。
まとめ:朝鮮出兵に7匹の猫が同伴?命を救った愛馬?島津義弘は動物好き!
動物にまつわるほっこりエピソードを持つ島津義弘。
戦国武将には珍しいことです。
しかし、動物だけに優しかったわけではありません。
妻や家族を想う話や家臣をいたわるエピソードも多く、島津義弘がただの猛将ではないことがわかります。
島津義弘は、他に三人の兄弟がおり、兄弟仲もとても良かったといいます。
“島津に暗君なし”といわれ、明治までに多くの名君を出した島津家の大名心得は、優しさだったのかもしれませんね。