禁断の愛に堕ちた新撰組4番隊隊長・松原忠司の「壬生心中事件」

新撰組のイラスト 幕末・明治時代のわやなストーリー

新撰組隊士には謎の死を遂げたものが少なくありません。

四番隊隊長であった松原忠司(まつばらちゅうじ)も、そんな謎の死を遂げたもののひとりです。

歴史大好きのくろーるです!

信憑性のある資料の中では病死とされているものの、松原忠司が死に至るまでは不可解な過程をたどっています。

四番隊隊長を任されるほどの実力者でありながら、平隊士へ突然の降格をされているからです

降格の理由は謎とされていますが、その理由は新撰組隊士としてあってはならない情事があったといわれます。

その禁断の情事が、松原忠司を死へと追い詰めた可能性が高いと考えられています。

新撰組四番隊隊長・松原忠司が犯した危険な情事「壬生心中事件」をご紹介します。

気は短いが心は優しい“今弁慶”といわれた柔術師範

松原忠司の出身については、詳しいことがわかっていないことが多いのですが、播磨国(現在の兵庫県)といわれています。

大坂で柔術道場を開き、柔術師範として名も知れており、多くの弟子もいたようです。

新撰組の前身となる壬生浪士組の時期に入隊し、松原忠司の技量とキャリアから幹部のひとりとなっています。

松原忠司の容姿は、とても目立っていたようです。

永倉新八
永倉新八

その坊主頭には鉄板の付いた白い鉢巻を締め、

大きな薙刀を持った姿は、

まさに武蔵坊弁慶のようだった。

“今弁慶”と呼ぶものがいるほどの、存在感のある姿ですね。

気が短いことも知られていたようですが、その一方で親切な人柄でもあったようです。

永倉新八
永倉新八

新撰組にあって心の優しいものといえば

山南と松原

「新撰組にあって心の優しいものといえば山南と松原」

“山南”とは、隊士に慕われながらも新撰組を脱走し切腹した山南敬助(やまなみけいすけ)のことです。

見た目とは違った性格だったのでしょうね。

新撰組を一躍有名にした池田屋事件や禁門の変でも多くの活躍をしており、腕前は新撰組の中でも折り紙つきだったのでしょう。

しかし、この見た目のイカつさと心優しい性格のギャップが、松原忠司を死へ追いやることになるのです。

斬った浪士の妻と堕ちた禁断の愛「壬生心中事件」

ある夜、酒を飲みしたたかに酔っていた新撰組四番隊隊長・松原忠司。

女連れで歩いていたところを、尊王攘夷志士と思われる浪士にすれ違いざまに捨て台詞を吐かれます。

「このご時世に女を連れて酒を飲むとは、気楽な身分のものよ。」

気の短い松原忠司は、酒の勢いもあってか聞きづてならないと、その場で浪士を切ってしまいました。

切り捨てたあとで冷静になった松原忠司は、せめて家族に遺骸だけでも届けてやろうと思います。

持っていた遺品から、松原忠司が斬った男は、壬生天神町に住む紀州の浪人だったことを知ります。

所在をたどって遺体を運んだ浪士の住居には、病気の子供と美貌の妻が残されていたのです。

「浪人たちと斬り合っていたところを助けに入ったが、ご主人は斬られてしまった。」

残された家族のことを思うと、松原忠司は真実を告げることができませんでした。

嘘をついた後ろめたさから、浪士の子供と妻の元へ通っては甲斐甲斐しく世話をするようになったのです。

そのうちに病弱な子供さえ亡くなってしまいます。

夫と子を失い、悲しみに打ちひしがれる妻のところへ、ますます頻繁に通うようになった松原忠司。

罪の意識からはじめたことも、いつの頃からか男と女の仲になってしまったのです。

自分で斬った浪士の妻と関係をもってしまったことを、新撰組局長・近藤勇に知られてしまいます。

“武士にあるまじきこと”

局中法度に反したことから松原忠司は切腹しようとしていたところを、他の隊士に止められます。

幹部隊士のケジメとして、四番隊隊長から平隊士に降格となってしまったのです。

切腹未遂のキズの回復も悪く、満足な働きもできなくなり、松原忠司は新撰組に居場所がないと感じます。

ある日、松原忠司が出てこないことを不審に思います。

悪い予感がした一人の隊士が、あの紀州浪人の妻のところへ駆けつけると、そこはすでに血の海となっていました。

そこには、松原忠司と紀州浪人の妻の死体を見つけたのです。

松原忠司の心の葛藤と悲しい結末を、ひとつの物語として読みたい方は、子母澤寛作『新撰組物語』に書かれています。

子母澤寛が新選組に関わった人を、明治期に取材して書かれたといわれています。

新撰組物語

著者:子母澤 寛

発行:中公文庫

禁断の愛に堕ちた新撰組4番隊隊長・松原忠司の「壬生心中事件」 まとめ

松原忠司が起こした「壬生心中事件」は、子母澤寛(しぼさわかん)による創作とされています。

子母澤寛の書いた「新撰組物語」は、明治に入ってから新撰組を知る老人たちに聞き取りをして作られました。

この「新撰組物語」に登場する話が、松原忠司の「壬生心中事件」なのです。

そのため、何らかの元になる話があるとは考えられます。

「新撰組始末記」には、隊士が女と同伴しているときに、行き違いの浪士と斬り合いをした記述が見られます。

また、松原忠司が何らかの失敗をして降格をしたが、まもなく亡くなったという不可解な記述もあるのです。

松原忠司の最後についても、切腹傷の悪化説、単なる病死説、銃殺説と複数あります。

そして、資料としての信憑性の高いといわれる新撰組の生き残り永倉新八の「新撰組顛末記」では、病死とだけされています。

詳しくさぐるほど謎が多くなるように感じられるのです。

松原忠司の死が禁断の情事によるものだとしたら、名誉を重んじる新撰組としては隠さざるをえないことにも思えますよね。

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