「第二の刃を持たざる者は・・・暗殺者を名乗る資格なし!!」
漫画「暗殺教室」の主人公・ころせんせーの名セリフです。
歴史好きのくろーるです。
忠臣蔵で知られる元禄赤穂事件(げんろくあこうじけん)。
主君の仇を、忠義の家臣47人が討ちいった事件として、映画や歌舞伎などでも人気のお話です。
忠臣蔵の名場面のひとつには、志半ばで脱落していく浪士たちの姿があります。
あるものは愛のため、あるものは親孝行のため、あるものは貧しさに耐え兼ね・・・
ときには主君への忠義との狭間で死を選ぶものさえいるのです。
しかし、このエピソードはウソ!
忠臣蔵という話を盛り上げるために創作されたもの。
もちろん、脱落者は実在の人物で、脱落したというのも本当ではあります。
でも、その理由はわかっていないのです。
今では″赤穂浪士の脱落者″と不名誉な烙印を押されたものたち。
その実態は、主人公・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が計画した「第二の討ち入り隊」ではないかといわれています。
「第二の討ち入り隊」になるはずだった赤穂浪士たちを、脱落の順を追って見ていきましょう!!
元禄赤穂事件を簡単に解説
1701年(元禄14年)3月、江戸城松の廊下において赤穂藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が高家・吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りかかった事件から、元赤穂藩浪士が吉良上野介を討ち取り、その後の処分までが「赤穂事件」といわれます。
おのおの方、いざっ!
「元禄赤穂事件」「赤穂事件」「忠臣蔵」といわれるものは、基本的には同じものを指します。
このうち、「忠臣蔵」はフィクションで、元禄赤穂事件・赤穂事件を元に作られています。
一連の流れをざっと解説します。
徳川綱吉の時代。
江戸城にて幕府が天皇を接待する役に指名されたのが浅野内匠頭で、その指南役(講師)が吉良上野介でした。
賄賂を渡さなかったことに怒った吉良上野介が、浅野内匠頭に意地悪をしたというのが通説です。
その意地悪に我慢できなくなった浅野内匠頭が、吉良上野介に刀で斬りかかりましたが未遂に終わります。
江戸城内での刀の使用は即切腹がルールのため、浅野内匠頭は即日切腹。
赤穂藩は取り潰しが決定します。
喧嘩は理由を問わず関係者双方が罰せられるのが、この時代の決まりです。
ところが、吉良上野介が罰せられることはありませんでした。
主君・浅野内匠頭の仇を討つため、家老・大石内蔵助を筆頭に元赤穂藩浪士が立ち上がります。
吉良上野介方もこれに対抗し、仇討ちを阻止しようとあの手この手を繰り出すのです。
数々の難関を乗り越えて見事主君の仇を赤穂浪士が討った、というのが赤穂事件の顛末です。
赤穂事件の大筋がわかったところで、脱落者たちが第二の討ち入りを計画していた証を見ていきましょう。
大野九郎兵衛こそ次の大石内蔵助になるはずだった!?
大野九郎兵衛(おおのくろべえ)は赤穂藩の家老の一人で、財政運営の能力を買われていたとされる人物です。
赤穂藩が取り潰しになり、赤穂城を明け渡すか幕府と戦うかで議論になったときには、赤穂城明け渡し賛成派の中心人物でした。
討ち入りの脱落者という意味では、大野九郎兵衛は該当者ではないかもしれません。
吉良上野介討ち入りについては、参加を約束したものたちは誓約書を交わしています。
大野九郎兵衛は、その誓約書を交わさず、早々に赤穂藩から逃げ出しています。
忠臣蔵では、不忠者の代表格とされる悪者にされています。
しかし、大野九郎兵衛にはその後の伝承が残されているのです。
最初の討ち入りが失敗したときに備えて、会津の峠できこりに変装し身を潜めていたといわれます。
吉良上野介の息子は、養子となって会津上杉藩の藩主となっていました。
最初の討ち入りが失敗した場合には、警戒した吉良方が会津上杉家に吉良上野介を逃がすと読んだのです。
会津に潜伏していた大野九郎兵衛は、討ち入りが成功したと聞いて喜び、その場で自害したと伝わります。
討ち入りを率いた大石内蔵助は、赤穂藩の筆頭家老でした。
もし、第二の討ち入りがあったときは、役職のある中心人物が必要と考えるはずです。
大野九郎兵衛がその中心となる人物に選ばれたとしてもおかしくありません。
また、大野九郎兵衛はニセ″明け渡し賛成派″だったともいわれます。
賛成派を大野九郎兵衛がまとめることで、討ち入りに参加するメンバーを厳選するためだったというのです。
九郎兵衛殿、賛成派を演じてくれぬか?
財政担当だった大野九郎兵衛は、討ち入りまでの資金調達を裏で行っていたという説もあります。
第二の討ち入りが必要になったときには、采配を振るうべき人物だったと思われるのです。
円山会議の大量脱落は選抜された第二陣メンバー
大石内蔵助をはじめとした赤穂浪士たちが、最初から吉良上野介の仇討ちを考えていたわけではありません。
第一の方針は、赤穂浅野家の復活でした。
ところが、赤穂浅野家の復活が事実上できなくなり、仇討ちだけに方針が一本化されたのが円山会議だったのです。
この円山会議を境に、多くの重要人物が脱落します。
進藤源四郎(しんどうげんしろう)・小山源五左衛門(こやまげんざえもん)・大石孫四郎(おおいしまごしろう)は、大石内蔵助の親類縁者でした。
岡本次郎左衛門(おかもとじろうざえもん)・多川九左衛門(たがわじろうざえもん)も、討ち入りした四十七士の親類です。
彼らのその後は、わからないものもいますが、脱落を悔やんで出家するなどしており、討ち入りの意欲が衰えたともいいきれません。
円山会議のあとで脱落したとされる人物の中には、もうひとり。
奥野将監(おくのしょうげん)という大石内蔵助の信頼厚かった人物がいます。
赤穂藩取り潰し後、大石内蔵助を補佐して、赤穂浅野家復活を最後まで訴えたといわれます。
奥野将監の脱落を、大石内蔵助は最後まで残念がったとされますが、第二の討ち入りメンバーだったという噂も絶えません。
将監殿は残ってくだされぬのか・・・
第二の討ち入りがあったとされるならば、それなりのメンバーが必要になるはずです。
また、その結束力の強さ、意識の高さも必要だったと考えられます。
大石内蔵助の親類を中心に信頼の厚いメンバーが第二の討ち入り隊として選ばれ、潜伏生活に入ったと考える方が自然ではないでしょうか。
円山会議で本当は何が話されたかは、未だわかってないのですから。
瀬尾孫左衛門と矢野伊助の討ち入り直前の逃亡
討ち入り前日に脱落したとされる瀬尾孫左衛門(せおまござえもん)と矢野伊助(やのいすけ)。
瀬尾孫左衛門は、赤穂浅野家の家臣ではなく、家老・大石内蔵助の家臣でした。
そのため、本来であれば藩主・浅野内匠頭の仇を討つ道理はありません。
ただ、大石内蔵助が望むことは自分の望みとばかりに、討ち入りメンバーに参加したのです。
また、矢野伊助は赤穂藩の中では足軽という低い身分でした。
しかし、矢野伊助も自ら切望して討ち入りメンバーに参加しています。
大石内蔵助の信頼の厚い二人が、討ち入りの日も決まった上で、直前に逃げ出したことは不自然過ぎます。
この二人にも何か役割があって、討ち入りの第一陣から外れたと考えられます。
孫左衛門、あとは頼むぞ。
瀬尾孫左衛門は、のちに僧となり「休真」と名乗ったとされます。
そして、討ち入り後に大石内蔵助の妻が休真に送った手紙の写しが残されているのです。
夫を裏切り逃亡したものに手紙を出すというのもおかしな話です。
第二の討ち入りに必要な情報を持って出たのではないでしょうか。
第二陣の道案内役のために逃亡か?最後の脱落者・毛利小平太
小平太は、まだ来ぬか!?
最後の脱落者として知られる毛利小平太(もうりこへいた)。
吉良邸に使用人として潜伏し、吉良邸内の情報入手の立役者です。
吉良邸絵図面を手に入れた岡野金右衛門(おかのきんえもん)ともども、討ち入りのときには道案内となるであろう重要人物だったはずです。
毛利小平太は、ギリギリまで討ち入りの第一陣であったとされています。
討ち入り直前の作戦計画書や大石内蔵助の手紙にも、毛利小平太の名前が残されています。
ところが、討ち入り当日には参加していません。
ストーリー的には、とても盛り上がりそうな演出ですが、おそらく討ち入り直前に計画の変更が必要になったのではないでしょうか。
毛利小平太は吉良邸内部のことを知っている数少ない人物です。
第二の討ち入り隊に道案内役が必要になる事情ができたのではないかと思うのです。
逃げたわけじゃない!赤穂浪士の脱落者は次の討ち入りを計画していた! まとめ
この他にも脱落した赤穂浪士はたくさんいますし、その理由はほとんどが謎です。
脱落したものすべてが討ち入りの第二陣になったわけではないでしょう。
しかし、大石内蔵助が第二の討ち入り隊を準備していたと考える方が自然です。
一発勝負にかけるほど、大石内蔵助は自信家でもありません。
もし、最初の討ち入りが失敗すれば、吉良方の警戒は厳しくなります。
次の討ち入りには、よりいっそうの用心深さや長い潜伏期間が必要です。
そう考えると第一陣の討ち入りメンバーは、血気にはやるものが多いのに比べ、第二陣と思われる脱落者には粘り強い精神の持ち主が多い気がします。
大石内蔵助の唯一の計算違いは、赤穂浪士47士が世間に評判になり過ぎたことでしょう。
赤穂浪士の名声を恐れたために幕府からは切腹をさせられます。
そして、第二陣のメンバーたちは不忠義ものとされ、表に出られなくなってしまったのです。
赤穂浪士を悲劇のヒーローにしたのは、誰あろう民衆の世論だったというわけです。
元禄赤穂事件・赤穂浪士のオススメ本はコノ2冊!
赤穂浪士ビギナーにこそ読んで欲しい一冊。
「人間の証明」や「悪魔の飽食」で知られる森村誠一先生の書く忠臣蔵には、それぞれの立場で“正義の事情に違いがある”という視点で書かれます。
そこは人間群像劇を得意とするだけあって、読み応え十分です。
赤穂浪士のよく知られたエピソードもふんだんに盛り込まれています。
少し長いですが、私が忠臣蔵=赤穂事件の全容を初めて知った小説であり、満足の一冊でした。
池宮彰一郎先生の描く忠臣蔵は、旧赤穂藩大老・大石内蔵助VS吉良方(上杉家家老)・色部又四郎の「忠義のため」をテーマとした小説です。
どちらも「お家のため」「家臣のため」「主君のため」に、その志を貫くためには非情な決断もいとわない姿に男気を感じずにはいられません。
最終的な結末を知っているにも関わらず、互いの裏をかこうとする頭脳戦もスリリングで手に汗握る展開を見せます。
映画化もされていますが、小説はさらに圧倒されますのでオススメです!